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 会津若松市内の観光名所を色々と巡る。
 一日チケットを購入して、バスは乗り放題である。
 途中、乗り合わせたおっちゃんが、やたらフレンドリーにバスの運転手に語りかけていた。
おっちゃん「このバスはいいね。市内の名所を色々まわっていて」
運転手「(無言)」
お「夕べ、駅の近くで泊まったんだけどさ。周りに何もなくて」
運「そうでしょう。普通は駅前がいちばん栄えてるんだけど、ここは駅前が寂しくて、少し離れたところが賑わっているんですよ」

 ああ、やっぱりそうか。
 昨日、ホテル周りに何もなかったのは、そのせいか。

 このおっちゃん、 「鶴ヶ城って、どこにあるんだい?」
 などと当の城の目の前で尋ねたり、修学旅行のガキが降りた時に、そのガキが持っていたカバンに堂々と「○○中学校」と書いてあったにもかかわらず
「ありゃ、高校生かい」
 などと言って、車内にいた小学生のガキどもと運転手の両方から同時に
『中学生!』
 と突っ込まれたりもしていた。


 この手の観光地での楽しみのひとつに、「英語の説明書き」がある。
 外国人観光客向けに、各名所の英語の説明書きと、日本語説明書きとを見比べて、城の「武者走り」が”Samurai Running Passage”になっていたり、「新春太鼓祭り」が”Early Spring Drum Festival”になっていたり、金閣寺は”Golden Palace Temple”なのに銀閣寺は”Ginkakuji Temple”(うろ覚え。逆かも)だったりするのを見てそのギャップを味わうのだ。
 しかし、会津若松の観光地は、全体的に英語案内が少ない。
「どーせ、外国人なんか、来ねーよ」
 などと考えているのか?

 まあ、それはそれとして。
 戊辰戦争で新政府軍と戦った会津では、新政府軍のことを「官軍」とは呼ばない(そうすると、自分たちを「賊軍」と呼ばなくてはならなくなる)。なので、市内のどこの案内でも、大抵は「西軍」「新政府軍」などと表記している。
 英語の説明も同様で、「West Side」とか「Enemy's force」とか書いてあるのだが、鶴ヶ城前の看板だけは「Emperor's force」と書いてあった。
 これって「官軍」では?


 が、そんなことよりこの日の最大の事件。

財布落とした〜〜〜


 市の外れの温泉旅館を今夜の宿に決め、予約を入れて部屋に入って一息ついたところで気づいた。
 慌てて、色々と心あたりに電話で問い合わせるが、見つからず。
 仕方が無いので銀行に電話してキャッシュカードを止める。
 せめてUFJ銀行があれば通帳と印鑑で降ろせたのだが、UFJは会津若松市内はおろか、福島県内にも、隣の群馬県にも栃木県にも無いと来た。
 幸い、近くに親戚の家があったので、明日、金を貸してくれるよう電話で頼む(おお、昨日の「母方の祖父母の家」の記述が伏線に!)。  さらに、普段から非常用に、財布とは別の場所に金を入れておく習慣があったため、この日の宿代と親戚の家までの電車賃はなんとかなりそうな見通し。

 本当は、あともう1泊ぐらいしたりとか飲み歩いたりしたりとかの予定だったのだが、急遽、帰京することにする。


 他にも、資料館みたいな建物かと思って入ったら実は市内の婦人会の切り紙作品発表会で引くに引けずに住所と名前の記帳までしてしまって「遠いところをわざわざありがとうございます」などと言われたり、昼に食べたトンカツ定食が客が自分1人しかいないにもかかわらず30分近く待たされて、その上、衣がまるで煎餅のように硬くてあまりに不味かったので残してきたり、松平家の会津藩初代藩主・保科正之のことを書いた本を手に取っていたら、したり顔のおっちゃんがよってきて「保科正之公だね。名君だったんだよ。徳川家光の息子だし(正しくは弟)」などと言って来たり、宿の冷蔵庫の飲み物料金がバカ高くて目を剥いたり、 昼間、お土産に買った日本酒を今夜のヤケ酒用に封を切ったらキャップが歪んで閉まらなくなって持ち帰ることができなくなり飲み干すか捨てるかしか道がなくなったりしたのだが、

もうどうでもいいや…


「ぶちこわしだ!」