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2004年 6日17日(木)
 仕事で、他の人に連絡を取らなければならなくなった。
 相手は移動中なので、携帯電話に会社から電話する。

自分「...と、言うわけなので。あとで連絡欲しいんですよ」
相手「わかりました」
自分「で、私もこれから移動するんで、私の携帯電話にかけて欲しいんですけど。番号は...」
相手「あー、すみません。今、食事中で、書くものが手元にないんです。
   30分ほどしたら、またかけてもらえますか?」
自分「了解です」

 30分後。
 自分も移動を始めたので、駅のホームから携帯で電話をかける。
自分「先ほどの件なんですけど。今、大丈夫ですか?」
相手「ああ、はい。電話番号ですね。どうぞ」
 ここで、ふと気づいた。
自分「もしかして、今、かけてる私の携帯番号、そちらの携帯に表示されてませんか?」
相手「表示されてます」
自分「...最初から、こうすればよかったですね...」
相手「...そうですね...」

《教訓:基本機能を忘れない》


2004年 5日17日(月)
 某所での会話。

「俺、最近、遅刻してないんだよ。2日に1回は、チャイム鳴る前に出社してるから」
「へー。すごいですね」

 ...きみたち。
 なにかちがうぞ。

《教訓:ヌルい環境に順応しない》


2004年 5日9日(日)
 仲間と飲み会があった。
 しょーもない話でダベっている中、「似ていて紛らわしいモノ」という話題になった。

「アーティストでも、似たようなのっているじゃん」
「系統が似ているだけでなくて、名前まで紛らわしいと困るよね。
 あの『マイ・リトル・ラバー』とか...」
「『エブリ・リトル・シング』とか...」
「『ク・リトル・リトル』とか...」
それは違う

《教訓:アーティストと旧支配者を混同しない》


2004年 1日12日(月)
 以前、買った「文庫本整理袋」「コミック整理袋」なる製品が非常に良かったので、買い足しに行った。
 以前、利用したスーパーでは売り切れだったので、別の店に行く。

 売り場がわからなかったので、店員に尋ねた。

「すみません、整理用品はどこですか?」

 ...と、言ってから、発音が「生理用品」と同じであることに気づき、慌てて言い直す。

「あ、いや、そうじゃなくて、ものを整理するのに、整理整頓とかに使う、物を入れたりして片付ける...」

 勝手にパニックになって、しどろもどろになる私に、店員は言った。

収納用品は、こちらです」

《教訓:物を片付けるのに使うモノは、収納用品》


2002年 9月10日(火)〜12日(木)
 それでもいいわ ちかごろ少し 地球の男に


2003年 7日19日(土)〜21日(月)
■19日

 21日まで伊豆に行きます。
 基本的にメンツはかんぽのゲーム会とかぶっているので、ゲーム合宿の側面も。
 ことの起こりは、えーと、4年くらい前? 伊豆は伊豆でも下田に行ったことがあるのです。風雲児erたる私と森脇さんは、その時「日程に余裕があったら韮山行って江川太郎左衛門の反射炉とか見にいきたいねい」とか言っていました。
 しかし下田もそこそこ見所が多いこと、雨ばっかりだったこともあり、実現はしませんでした。
 それでも「いつかは反射炉へ」という野望は潰えていませんでした。仲間内で、誰かが「温泉でも行きたいね」と言うや、森脇さんが「伊豆の韮山という所は温泉もあり、東京からそこそこ近いし、あまり観光地として注目されていないし、どうでしょう」と。作戦成功。
 つうわけでちょっくら、日本最古の歴史を持つパンを食ってきます。

「アホか おまえはーーッ!」
(ボガーーーーツ!)
「お前が書いてるのは、「天狗煙草森脇支社」の7月19日分の日記の丸写しじゃないかっ」
「はっはー やっぱわかりますか。
 カンタンにまとまってるもんで、つい……
 だまってれば見つからないんじゃない?」

 そんなこんなで、仲間4人で伊豆に行く。
 東京在住3人と、横浜在住1人が合流するため、待ち合わせは新横浜駅。そこから新幹線に乗ることにする。
 新横浜は始発ではないので、もしかしたら席が空いていないかもしれない...と、いうことを心配する。

「まあ、座れなくたって、三島までならせいぜい30分でしょ。たいしたことないって」
「そうだね。30分っていったら、新宿から立川ぐらい?」
「それより、駅でいったらたった3駅でしょ。新宿から渋谷まで立っていくぐらいと思えば」
「そうだね。3駅っていったら、飛行機でヨーロッパに行くのに、まず香港で止まって...」
かえって長くなっとるやん!

《教訓:たとえ話で、スケールを無視しない》

 結局、座席は取れず、たまたま空いた席に2人が滑り込んだが残りの2人は立ってゆく。

 三島駅で下車。
 適当に出口に向かい、そこにあった喫茶店で腰を下ろし、軽食。
 その後、韮山に向かうために伊豆箱根鉄道に乗り換えようとする。

乗り場は、駅の反対側だった。

 すでに改札を出てしまったので、駅の構内は通れない。
 連絡通路の類もない。
 仕方無しに、外の道を10数分かけて大きく迂回し、乗り場にたどりつく。

《教訓:乗換駅で改札を出る時には、どの出口にするかも考慮する》

 三島から韮山(正確には、宿に近い伊豆長岡駅)に向かう電車内で、地ビール半額企画の釣り広告を目にする。
 私と、同行メンバーYが、これには絶対に行こう、と強行に主張。
 特に反対意見もなく、参加メンバー4人中2人の賛成により、この案は可決される。

 韮山の駅で観光案内パンフを漁り、歩いて宿に向かい、チェックイン。
かの川
市内を流れる、こぶな釣りし川。
 夕食の時間が迫っているので、今から例の地ビールの店に行くのも無理がある。
 チラシを見ながら明日の観光計画を練りつつ、ダラダラと過ごす。


■20日

 朝食を食べて、さっさと出発し、観光地を巡る。
 ...と、いう予定だったのだが、メンバー約1名の起床が遅れ、朝食も遅れ、出発は11時過ぎとなる。

 今回の観光計画の基本は、「最後は地ビールの店」。
 件の店は、韮山反射炉のすぐ側。
 駅のチラシにあったおすすめ観光コースでは、伊豆長岡駅からまず反射炉に向かい、山を歩いて代官屋敷跡・江川邸に向かい、韮山駅で電車に乗る、となっていた。(観光コースA
 しかし、「ビールを飲むのは、一日歩き回った後がいい!」という酒飲み2名の意見により、反射炉は最後に回す。

 また、市内にある様々な寺や「北条政子産湯の井戸」といった史跡を巡るお勧めコースもあったが、これは韮山から史跡を巡って伊豆長岡にいたるものとなっていた。(観光コースB


 「最後に地ビール」という前提条件を満たすため、まず宿から、コースBを伊豆長岡から韮山へ逆向きに歩く。
 次にコースAを韮山から伊豆長岡に逆向きに歩く
...という観光スポット逆打ちコースで行くことに決定する。

 出発し、最初の観光スポットは、温泉だった。
 宿を出て早々、朝っぱらから温泉か...と、いう考えが一瞬頭をよぎったのだが、せっかくなのでコースのお勧めにしたがって皆で温泉につかって一時間ほどボケーッとして過ごす。

 温泉を出て次のスポットが、今度は険しい山道。

「これって...つまり、山道を上り下りして疲れて汗かいた体を、温泉で休めろ、って意図で組んであるんじゃないの?」
「なんか、それっぽいねえ」

 全員、汗だくになって山に登り、展望台から市内を眺める。
 色々歩き回って、道端でみつけたファミレスで昼食。

「最後の反射炉って、公開してる時間は5時までだったよね。時間、大丈夫かな」
「なんとかなるでしょ。案内のチラシでは予想時間2時間程度だったし」
「いざとなったら、タクシーでも拾えばいいしね」

 などと言うことを言っていたのだが。
 タクシー乗り場なんか、ありゃしねえ

《教訓:希望的観測に基づいて観光計画を立てない》

 仕方無しに、ひたすらテクテク歩いてあちこちの観光スポットを回る。
 時間的にもなんとかなるかな...などと思ったのだが、途中の江川邸で、現地ガイドのおっちゃんの気合の入りまくった解説に聞き入ってしまい、じっくり時間をかけて見学したおかげで、アッというまに午後5時を過ぎる。

「5時過ぎちゃったし、反射炉は明日回しだね」
「でも、せっかくだから歩いていってみない?」
「んー、まあ、そうしようか」
 と、なんとなくな勢いで歩いて最終目的に向かう。

 十数分後。
 道に迷う

 散々に無駄な道を通って遠回りをして予定を大幅にオーバーして反射炉前にたどりつく。
 既に公開時間は終わっている。
 レストラン等は営業しているのだが、宿の食事の時間も迫っている。
 時間に追われながら申し訳程度にビールを飲んで、急いで帰る...というのも嫌だったので、バスに乗っておとなしく宿に帰ることにする。


■21日

 ついに、今回の旅のメイン目的地であった韮山反射炉跡地に向かう。
 ガイドのねーちゃんの説明を聞きつつ、気合を入れて見学。

 30分もせずに、あっさり、見学終了
 ガイドのねーちゃんに、入り口側にあるお土産屋兼茶屋に連れ込まれる。

 適当に土産物を漁って時間を過ごし、昼飯時になったので、ようやく件の店に行く。
 焼肉のコース料理を選択。
 ビール半額のサービスは夕方のみなので適用できない。その代わり、飲み放題のコースを選ぶ。
「この値段で、半額サービスの時と比較すると...」
「(計算する)7杯だ。7杯以上を飲めば、こっちが得になる!」
「よし、7杯だな!」
 などと酒飲みメンバー(4人中2名)が勝手に盛り上がって飲みまくるが、残りの非酒飲みメンバーも、それに負けじと食べまくって追加注文しまくり。
 結局、ビール7杯の目標も無事に達成し、皆が満腹になって伊豆長岡を後にする。

 帰りも伊豆箱根鉄道に乗り、三島に着。ここから新幹線に乗る。
「いいかげん疲れたからさ。帰りは指定席で行こうよ」
「さんせー」

 駅の窓口で、新幹線の全員分の指定席を取ろうとする。
 が。連休中のせいか、始発駅でないせいか、ほぼ満席状態。
 どうしても指定席で行こうとすると、4時間後まで待たなければならない。
「ああー、じゃあ、もうそれでいいです」

 旅の最後を締めくくるのは、三島駅前での時間つぶし4時間カラオケとなった。

《教訓:日記は、その日の記憶がなくならなる前、なるべく早いうちに書く》


2003年 5日19日(月)
 以前から酒のつまみにはチーズ&クラッカーは定番メニューとしていた。
 が、先日、仲間内の飲み会のつまみに用意したハードタイプのチーズが塊で余ってしまい、それをひとりで片付けている間に、そのチーズ自体にハマる。

 就寝前に、塊をチーズナイフで削りだし、かじる。最初のうちは余り物処分だった。しかし次第に病みつきになる。もう、酒なんかどうでもいい。
 先日、塊がようやくなくなったのだが、この日にまた買ってきた。

 削る時には細かいカスがぼろぼろとこぼれるので、まず下に新聞紙を敷く。
 上で封を切る。
 皿を出してくるのが面倒くさかったので、袋の中にチーズの塊を入れたままナイフをつっこんで、削り取ろうとする。
 うまく切れず、塊がひっぱりだされてくる。
 まけじと、ナイフを押し付けてガリガリ削る。

 気がつくと、塊の一部が新聞紙の上まで引きずり出されていた。

 裏返した。
 チーズの裏面が、新聞のインクで黒くなった。

《教訓:食品は、食器に乗せる》


2003年 5日18日(日)
 仲間らと共に、浅草に行った。
 有名な観光地であるから普段から人の多いところではある。それに加え、ちょうどこの日は、浅草の三社祭りの最終日。おのぼり観光客が大挙して押し寄せ、狭い商店街は身動きを取るのも苦しいほどの混雑である。
 もちろん、「お前もその、おのぼり観光客の一員だろうが」などという愚劣なる指摘は禁止である。

 ときおり見かける神輿を見物しつつ、参道を突き抜けて出店のタコヤキやら焼きそばやら鮎の塩焼きやらビールやらその他もろもろとの誘惑と戦いながら、戦場を離脱。浅草寺の境内を抜けて花やしき遊園地の前まで来る。
 花屋敷といえば、有名なのが「民家のすぐそばを猛スピードで駆け抜ける」「古さを宣伝文句にしている」などといった、「ちょっと違った怖さのジェットコースター」ではある。が、わざわざ祭り見物に来てジェットコースターもないか...それに、入場料900円はちょっと高いか、などと悩みつつ、全員が全員、ここで何か提案して周囲の賛同を得られずに浮いてしまうのは嫌だと優柔不断に他者の出方を伺っていた。
 そのとき、我々の眼に

バカ物語

の文字が飛び込んできた。

「な、なに! バカ物語だと!?」
「なぜ、バカ物語が」
日本バカカード協会の勢力は、こんなところにまで及んでいたのか!」

(知らない人のために簡単に説明しておくと、バカ物語というのは、バカな遊びの一種である。
 以上、簡単な説明おわり。
 詳しい説明は「バカカードのページ」を参照すべし
 この日の同行者はみな、これの元になったバカカードの愛好家であった)


 どういうわけか、遊園地の中にこんなアトラクションがあるらしい。
 全員一致で入場券を買い、問題のアトラクションに向かった。

 「バカ物館(ばかぶつかん)」

 だった。
 バカ物語ではなかったが、訳のわからんものには違いない。1000円で11枚つづりの乗り物券(入場料とは別料金)から、もぎりの兄ちゃんに3枚ちぎらせて入場してみると、なんか安っぽい展示物が。
 曰く。「かぐや姫の入っていた竹」
 曰く。「一寸法師の乗ったお碗の舟」
 曰く。「ジャックと豆の木の話で、芽を出さなかった豆」
 曰く。「桃太郎のおばあさんが使っていた洗濯板と洗剤(なぜか最近の洗濯洗剤のパッケージ)」
 曰く。「ピノキオを作った時の木の削りカス」
 曰く。「浦島太郎の釣竿」

 展示物に添えられた解説文もなかなか狂っている。
「また、ぴったりのタイミングで桃が流れてこなかったら、正義のヒーロー桃太郎は誕生しませんでした。(多分)同様に、桃を割った包丁が、もしこの包丁でなく穴あき万能包丁だったとしたら、桃太郎はどうなっていたでしょう? そういった意味でもこの包丁は貴重なものです。 」
 とか
「この事件をきっかけに3匹のこぶたは人気レンガ職人となり、『狼シャットアウト。こぶた印のレンガ』と言う商品で巨万の財を築いたということです。」(参考文献・日本昔話集、建築文化、フォーブズ)
 エトセトラ、エトセトラ...
 こんなことなら、記録用のカメラ類を持ってくるんだった。

 これだけのロクでもない(褒め言葉)ネタを、しっかりとスペースを確保して堂々と展示してしまうくだらなさ、一同感激。
 その後、余った券を安っぽい人形が安っぽく動く安っぽい見世物小屋とか、安っぽい迷路とかで消費して外に出る。

 再び浅草寺方面に戻ったりみやげ物を漁ったりしつつ駅の方向へ。
 駅前のデパートで、うまいもの展なる催し物をやってたので、ぞろぞろと出かけて試食品をつまんで、酒のつまみをいくつか買い込んで、「仲見世」の文字やらデパートのロゴやらの袋をぶら下げた、おのぼりさん全開の姿をさらしつつ、隅田川沿いをうろうろして歩き、有名な、吾妻橋の横のアサヒビールの謎の金色オブジェのそばのビアホールでさんざんにビールを飲みまくってつまみを食いまくって解散。

《教訓:くだらないネタも、堂々とやれば立派なネタになる》


2003年 5日16日(金)
 以前、知人・Tから、とあるブツ(書類)を借りていたのだが、急遽、それが必要になったというので返却することにした。
 平日は都合がつかないので、郵送か土日に手渡し、ということになった。

私「だったら、ついでに他の人も誘って飲み食いする集まりにしません?」
T「いいっすよ」
(以上、5月14日)

 と、いうわけで、仲間内で参加者を募った。
私「(詳細とか予定とか云々を語るが、略)
 私は、某の人に物を手渡ししたい、という都合があるんで、中止ということは考えちゃいません」

 某は、それに答えて言った。

T「渡したい物? なんか貸してましたっけ?」

《教訓:借りたものは、速やかに返却する》


2003年 3日23日(日)
 徹夜した。
 ボーッとした頭でテレビを見ていると「かわごえ・える」という文字が目に入った。
 かわごえ・える? 誰だそれ。アイドル歌手かなんかかな。最近、そっち方面は全く情報収集してないからな...
 などと思ってよく見ると。
 イラク情勢のニュースの「アメリカ軍、ユーフラテス川越える」だった。

《教訓:勝手に芸能人を捏造しない》


2003年 2日22日(土)
 このページを更新しようとして、ふとハードディスク上のファイルを見た。
 いつの間にか、ファイルの容量が100KBを越えている。そんなに分量が増えたのか...と思いつつ、何の気なしにテキストエディタでファイルを開いた。

 な、なんじゃこりゃ...

 ソースがとんでもないことになっていた。(参照

《教訓:見えないところにも気を配る》


2003年 2日20日(木)
 体調を崩した。
 前日から気分が悪かったのだが、この日は我慢の限界を越え、会社を休んで病院に行った。
 だいぶ御年配の先生に、ひととおり診察してもらった後で念のために前々日(体調を崩す直前)の夕食を聞かれた。
「えーと、ファミリーレストランでチキンガーリックステーキを...」
「チキンなんだって?」
「チキンガーリックステーキ です」
「あー、とにかくチキン料理ね。チキンライスでいいや

 いや、先生。全然、違うんですけど...

《教訓:長い横文字名前の料理を食べた直後に、体調を崩して医者に行かない》


2003年 2日15日(土)
 部屋に友人を集めて、みなで鍋をつつく会をやった。

 うちは会場は提供できるが、土鍋やカセットコンロが無い。誰か持ってきてくれると助かる...と、いうことを前もって言っておいた。それを聞いたM氏が、持ってきてくれることになった。
 買出しもすみ、みなが集まって、材料を切ったりして準備を始める。
 件のカセットコンロは、長い間使っていなかったというので、ためしに火をつけたりして具合を確かめる。
「特に、問題ないみたいですね」
「それじゃ、はじめますか」
「ところで、カセットコンロはいいとして、鍋は?」
「え、コンロだけじゃなくて鍋も無かったんですか??」
「...」
「...」
「...」
「...」

《教訓:鍋会の当日、しかも開始後に土鍋を買いに行かない》


2003年 某日
 日バ(日本バカカード協会)の句会があった。
 句会というのは、要は一日中「バカカード」をやりたおす集まりである
(バカカードとは何か...を知らない人は、こんなところを読む前に、まずうちのサイトの「バカカードのページ」を読んでもらいたい)
 
 都内某所のカラオケボックスに、会員13人が集まり、約6時間に渡ってバカカードをプレイ。ひたすら作品を作り続ける。
 皆に受けた作品を紙に書き残し、句会の最後に投票で「本日の優秀作」を決定する。

 で。
 この日、最優秀作に選ばれたのは、私が「プロジェクト馬鹿」(NHK「プロジェクトX」デッキ)で作った

 素人女で大やけど

 ついでに、第3位入賞作も、私の作品だった。
 私は過去に何度か参加している。だが、まだ自分の作品が最優秀作に選ばれたことはなかったので、かなり感激。

 ...すみません、思い切り自慢です。

《教訓:オチもつけずに自慢しない》


2003年 2月 7日(金)
 会社で、職場が異動になった。
 すでに1月の中旬から、作業は新しい職場でしていたのだが、この日に前の職場で送別会を開いてくれることになった。

 以前の職場は秋葉原近くにあった。
 もう定期券が使えなくなるため、これからは、あまり秋葉原には来れなくなる。
 某電気屋のポイントカードに、ポイントが1000点ほど(千円相当)残っていたので、この機会に使い切ってしまうことにした。

 少し早めに移動。
 会社に着く前に件の電気屋のCDショップに入り、適当なCDを物色。

 と、そこで、以前から、見つけたら是非とも入手したいと思っていた(が、注文してまで入手したいとは思っていなかった)CDボックス(注)を発見!
 CD6枚セットで、約14,000円。
 迷わず掴んで、レジに持ってゆく。

 約14,000円から、溜まっていたポイントをすべて消費して割引きし、約13,000円。
 ...そして、支払額から1割のポイントが付与されて1,300点。

 ポイントを消化しにきて、約300点ほど増加させてしまった。

《教訓:衝動買いしない》

 (注)東芝EMI「笑ケース」。コミックソングばかり72曲

2002年12月30日(月)
 高校時代の同級生らと、埼玉県は秩父の山奥、長瀞まで泊りがけで遊びに行ってきた。
 参加人数は5人。そのうち2人は、用事があってあとから合流。なので、行きは3人である。

 待ち合わせして、メンバーのひとりが出した車に乗って出発。
 次第に山奥に入ってゆく。すでに、私のPHSは電波の届く範囲外になってしまっている。
 やがて、現地についた。

 宿がみつからねえ。

 車の入らない道の奥にあるはず。私が偵察として探しに行くが、記憶にある宿の名前の看板が見つからない。
 近所の売店で尋ねても、そういう宿はないと言われる。
 うろつきまわったあげく、車で待機していた仲間のところに戻る。

 ふと、「もしかして、宿の名前を間違っていたかもしれない」と思う。
 なんか、似たような感じの宿があったのは確か。
 もう一度、事実を確かめに行く。

 問題の宿に行き、私の名で予約を入れていないか、とたずねた。

 ビンゴ!

 やっぱり勘違いしていた。そこが、宿泊予定の宿だった。
 仲間に知らせるべく、PHSを取り出す。

 そういえば、サービス圏外だった。

 慌てて仲間のところに走ってゆく。
「ごめん、宿の名前、やっぱり○○館じゃなくて××館だったよ」
「うん。そうみたいだよ」
「へ?」
 彼らは、私が報告する前に、遅れてくるメンバーの携帯に電話をかけて、すでに宿泊施設名を確かめていた。

《教訓:『「宿泊施設を利用するときは、最低限そこの名前ぐらいは覚えておく」... という教訓を得たら、それを次に生かす』... と、いうのと似たような教訓を得たら、それを次に生かす》


2002年12月 9日(月)
 友人達が、誕生日祝いの会をひらいてくれた。
私の誕生日は10月だったりするが、あえてそこには突っ込まない)
 プレゼントをもらった。

 その中の一部。

モンプチ  お父さん  清原のサイン

《教訓:こういうネタは自分で考えたわけではなく、送り主が考え付いたネタなのだから、自分のホームページで使うのはネタ泥棒みたいで卑怯な行いではないか...などと深く思いつめない》


2002年10月13日(日)
 知人らと、高尾山に遊びに行った。
 途中の展望台で、中年男が連れの女に語っていた。

「ほら、あの地平線の際の空の色が変わってるあたり。あそこがオゾン層

 ...と、いうことは、それ以外のところは全てオゾンホールらしい。

《教訓:フロンガスを排出しない》


2002年 9月30日(月)
 会社の飲み会があった。

 注文していた、「焼きそばの上に目玉焼きが乗ったようなやつ」(正式な名前は忘れた)が来た。
 新人社員Mが、皆に取り分ける役をやっていた。
 彼は、先輩女性社員の皿に目玉焼きの黄身を、ほぼそのままよそった。

先輩女性社員「わー、ありがとう。私、キミが大好きなんだ」
新人社員M「えー、そうなんですか。ありがとうございます」

 Mは思いきり照れまくっていた。

《教訓:告白されて舞い上がらない》


2002年 9月22日(日)
 東京ゲームショウなるイベントのために、幕張メッセに行った。
 フジテレビ「笑っていいとも」のスタッフという男から声をかけられた。
 「年相応に見えない人コンテスト」(だったか、そんな感じの企画)の参加者を探している。写真を撮って、連絡先を教えて欲しいとのこと。

 さすがに、全国的にテレビで笑いものにされる気にはなれなかったので、断った。

《教訓:イベントに行ったら、イベントの内容を書く》


2002年 9月10日(火)〜12日(木)
 は、可愛い年下の男の子


2002年 6月30日(日)
 知人とカラオケボックスに行った。
 丁度、この日はワールドカップ決勝 ドイツ VS ブラジル戦。カラオケのテレビ画面では、曲が流れていない間、試合の中継が流れていた。
 おかげで入ってから約2時間、1曲も歌わずに、飲み食いしながらずっとサッカー観戦をしていた。

 途中、隣の部屋から歌声が聞こえてきた。
 知人Sの言葉。
「うわ、歌ってるよ。信じらんね

 ここ、カラオケボックスなんですけど...

《教訓:信じろ》


2002年 6月28日(金)
 以前の職場の関係で、飲み会があった。

 このサイトは、自己紹介ページに書いた職場ネタの単語を検索エンジンで発見した人がいたりするおかげで、会社でも存在を知っている人が数人いる。
 そういった人達から、久しぶりに会った飲み会の場で
「ホームページ更新しないんですか?」
「5月から止まってるじゃないですか」
「早く更新してくださいよ」
 等と口々に言われてしまった。

 こういったセリフを聞くと、読んでくれてありがたいと同時に、更新が滞っていたことが本当に申し訳ない気持ちになってくる。

 ただし、更新した当日に言われたので無ければ、だが。

《教訓:さんざん遅らせていたことを、いまさらやったからって得意にならない》


2002年 6月11日(火)
 「じどうはんばいき」(注)の小噺をした。

注:児童売春を専門にする闇組織が、潰れた地下のカプセルホテルを占拠している。
 個室のひとつひとつには子供が入れられていて、客は自分の気に入った相手を連れ帰ることができる。
「これが本当の、児童販売機」
 というオチ。

 聞いていた3人のうち2人には、そこそこウケた。
 が、残りの1人が眉をしかめている。

 やばい、ちょっとブラックすぎて、ひいてしまったか...
 と、私がひとりで焦っていると、彼は言った。

「それって、販売機じゃなくて、貸出し機じゃないの?」

《教訓:借りたものは返そう》


2002年 6月 8日(土)
 無茶苦茶、蒸し暑かった。
 そんな中、休日出勤があった。

「部屋にいても冷房がなくて暑い。それだったら、冷房の効いた職場で一日過ごせるんだから、いいか」

 と考えて、自分を慰めた。
 会社に着いた。
 冷房が故障していた

《教訓:逆境の中の慰めに、過度に期待しない》


2002年 6月 5日(水)
 会社で残業中、雷雨になった。
 時々、稲妻が光っては雷鳴が鳴る。
 なんとなしに、「光ってから音が聞こえるまでの時間で、落ちた地点までの距離がわかる」という話になった。

「光はほぼ同時に届くとして、音が聞こえるまでの秒数に音速をかければ、距離が出るんだよね」
 それを聞いた某氏のの言葉。
「それで、音速って、マッハ2ぐらいだっけ?」

《教訓:単位の由来を忘れない》


2002年 5月25日(土)
 東急ハンズ・池袋店にて撮影。
 スター・ウォーズの登場人物、オビニワン・ケノービの人形。
   

《教訓:記号を片仮名化しない》


2002年 5月19日(日)
 夕方ごろ、「なんか忘れてることがあるような気がする...」
 と思っていたら、気がついた。
 今日は、洗濯をしなければ、と思っていたのだ。

 とりあえず、全自動洗濯機に洗濯物を放り込み、ホースをつないでスイッチを入れる。
 できあがりまでヒマになる。
 何となく,今日は夕食の調理をする気にならなかった。
 近所に、自分が引っ越してきて以来、一度も行ったことのない中華料理屋があったのを思いだし、出かけてみることにする。

 中華料理屋着。
 注文する。
 食べる。

 不味かった。

 家に帰ってきて、そろそろHPの更新をしようかな、という気になってPCに向かう。
 キーボードに向かって約4時間。だいぶ出来上がってきた。

 マシンが暴走してデータが吹き飛んだ。

 今日は休肝日の予定だったのだが、ヤケになってビールと焼酎をあおる。
 適度に酔ったところで、もう何もする気がなくなって寝ることにする。

 就寝前の歯磨きをしながら、「なんか忘れてることがあるような気がする...」
 と、思っていたら、気がついた。
 洗濯物が、洗濯機に放り込まれたままだった。

《教訓:洗濯が済んだら干す》


2002年 5月 8日(水)
 御徒町にて撮影。

Click!

《教訓:「メニュー」の綴りは「MENU」》


2002年 4月18日(木)
 上野にて撮影。

ドコモの携帯SAEL

《教訓:「セール」の綴りは「SALE」。ついでに、某氏から突っ込みがあったんで追記しておくと、「シール」の綴りは「SEAL」》


2002年 3月27日(水)
 新しく移ったプロジェクトにて、今後の予定の話をしていた。
 先輩が「予定は○○日だから、あと何日...」という話をしながら、カレンダーの日付をたどりつつカウントする。
 その時、土曜と日曜を除外してカウントしていることに、驚きを感じた。
 いままでは、土曜も日曜も当然のように勤務日とみなさていて、そんな考えに染まっていた自分に呆れる。

《教訓:「休日出勤あたりまえ」の職場環境に順応しない。》


2002年 3月25日(月)
 今まで携わってきたプロジェクトを離れ、新たなプロジェクトのチームに加わることとなった。
 さすがに、初日から遅刻はマズい。同じチームの人に悪い印象を与えてしまう。そう考えて、始業20分前に出社。チームの偉い人による説明を待った。

 チームの偉い人が出社したのは、50分後だった。

《教訓:自分が気合を入れようと、他人も同調するとは限らない。》


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